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TRPGエッセイ
 日々是RPG

18.表現の取捨選択〜”プレイ”と”リプレイ”の境界線〜
  

 今回は、いつもとかなり趣旨の違う話になりますので、苦手な方にはお読み飛ばしいただければ、と思います。




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 TRPGのプレイをもっともよく表すことが出来る作品。それがリプレイである。



 TRPGとは会話のゲームである。それゆえに、最大の楽しみはやはり「言葉の応酬」にあると言っていいだろう(もちろん、世の中には優れたルールがあり、それらはただ戦略を考えてサイコロを振り、判定に一喜一憂するだけでも充分楽しめたりするのだが、それは厳密には「テーブルトーク」ではない。ルール性を否定しているわけではないので、念のため。何度も言うようだが、私はルール・ゲーム性も含めてTRPGを愛している)。



 リプレイとは、それら「一瞬の表現」であるTRPGのプレイを、「永続的な表現」に変換する手段である。

 TRPGのプレイは「その場にいる参加者」のためのものであり、リプレイは「読者」のための作品だ。それらは似て非なる表現であり、同じもののようであって、実はそうではない。



 「リプレイとは、プレイの模様をそのまま文章化した作品だ」と主張する人がいる。私はそれに否定的である。



 もちろん、話の大筋やセリフの本意が変更されているならば、リプレイの意味はない。その点で、その主張は正しいものといえるだろう。

 しかし、TRPGのプレイをリプレイに変換する時点で、表現の対象がまるで変わってしまうのである。



 例えば直接人と会って話す時に、私達は余計な言葉を省いて会話をする。「言わなくても分かること」「ニュアンスで伝わること」があるからだ。それらを殊更に口にする必要はない。

 しかし、これが手紙やメールではどうか。



 以前にも書いたが、文字自体に感情が乗ることはない。つまり、相手に伝えたいことを明確に書き出す必要がある。

 これこそが、まさにTRPGのプレイとリプレイとの差なのだ。

 それらを混同し、「リプレイはプレイに忠実でなければならない」と主張することは、実は読者をないがしろにする行為なのだと私は思う。



 オリジナルオンリーを自負するリーブルにとって、これは重要な課題である。ルールや世界観といった、根本的なことを知らない人を楽しませねばならない。時にはTRPGそのものを知らない人に読ませる必要がある。

 その時に、最も気をつけねばならないこと―それが、『話し言葉と書き言葉』の違いなのだ。



 その場に居合わせなかった人が、文字となった会話から全てを読み取ることは極めて困難である。不可能と言っても良い。まして内輪ネタなどあろうものなら、読者はその時点で読解の努力をやめてしまうだろう。



 内輪ネタが悪いといっているわけではない。そういうのが好きな人もいるし、ちょっとくらいは入っていた方が「リプレイらしく」なるのは確かだ。

 ただ、「リプレイ」という表現手段を取る時点で、対象が「読者」に変わったことだけは意識しなければならない。それがなされていなければ、どんなに面白いリプレイであっても、駄作への道を歩んでしまいかねないのである。



 かく言う私も、リプレイには毎回頭を悩ませる。私のリプレイをお読みいただけば大体お分かりいただけるかと思うが、行間のほとんどを小説で埋めている。これはこれで、リプレイとしては問題があるのだが、今のところ、これに勝る表現方法を私は見つけられずにいる。



 「リプレイ」は「読者」を対象にしなければならない。しかし、「プレイ」にも忠実でなければならない。それらを満たそうとする時、私達は大きな壁にぶつかってしまう。



 もっとも、ここまで書いてきたことは「書き手の理論」である。本当に「読者」が求めていることは、私が考えているところにはないのかも知れない。それは「どの読者層を対象にするか」によっても大きく異なるだろうし、急いで結論の出せる問題でもない。



 ただ、リプレイを発行しようとする者は全て「表現者」であること、そして読者を楽しませなければリプレイの意味がないことを忘れてはならない、と思う。



 表現の取捨選択―それは、TRPG氷河期の現在、その面白さを表現しようとする私達にとって、常に最大の課題であり、またそうでなければならない問題なのだ。


 

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